あの日から!

2019年8月7日

オーストラリアでリバーガイドをしていた時の回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)

リバーガイド(ラフティングのガイド)になってから、初めてフリップ(ボートが転覆すること)したときの事を書いてます♪

前々回 ⇒『初フリップ! 』
前回 ⇒『あれ・・?』

あっという間でした。

「ガツっ!!」
   ⇒岩に当たる!

「クルリン・・」
  ⇒ボートが回転し落ち込みに対して真横で落ちる・・  

「スパっ!!」
  ⇒ボートが一瞬で逆さまに

「あれ・・?頭の上に水面がある・・」
  ⇒時間が止まったような感覚(笑)

もう15年以上前の出来事ですが、今でもこの瞬間の感覚というものをハッキリと覚えています。

そのときは、

「あ~・・ついにやってしまったか・・」

と思ったものですが、時間が経つにつれ、

ものすごい「悔しさ」というものが自分の中で沸き起こってきたのでした!

「クソ! こんなところでフリップしてしまった・・・。ガイドを引退するまでずっとフリップしないつもりだったのに!」

上の台詞。

ガイドをやっているものなら誰でも、「そんなことできるわけないだろ」と思う台詞です

まあ、もちろんフリップする可能性が殆ど無い川で、一生ガイドするだけなら、可能だと思うのですが、

「世界で最もテクニカルな川の一つと言われている、グレード4のタリー川」において、

それは現実的にかなり難しい(というかほぼ不可能?)といったものなのです。

しかし、当時の私は本気でそう思っていたので、それはもう本当に悔しかったのです!

もちろん、その後もオーストラリアを離れるまでの13年間に、何回かフリップしたのですが、私はその全てのフリップを、場所、状況から全てをハッキリと覚えています。

「絶対にしたくない」と思って、そうならないようにしていたのにも関わらず、起こってしまったことなので当然です。

結局、オーストラリアで働いていた時の私自身の「フリップしなかった期間」で一番長かったのは、約5年間でした。

これは、たぶん今までのガイドの中でも結構長かった方なのは間違いないでしょう。

これは私が単に「自信過剰の性格」のためにそう思って、そのようにやっていたわけではありません。(もちろん、それも若干ありますけど・・

若い私なりに(当時は23歳)、

・外国で、外国人としてリバーガイドで働いていくために。 

・ラフティングの本場、オーストラリアのケアンズでリバーガイドとして「成功する」ために。  

必要なことと自分で考えて行なっていたことなのです。

次回以降の回想記では、その辺の私の「ノーフリップ」にこだわっていたオーストラリアでのガイド時代について、もう少し詳しく自分の考えも含めて書いていきたいと思います。

$ラフティング道

上の写真が私が初フリップをした激流「ダブル・ウォーターフォール」です。これは私がカヤックで遊んでいる時のものですが(笑) ラフティング中の写真がありませんでした

$ラフティング道

「初フリップ」をした日の集合写真。私の手が「フリップしてしまいました!」という意味を表しています(笑)

顔はちょっと苦笑いといった感じですが、心の中は・・・・

あの日、「この写真は後のいい記念になるだろう」と思って自分で買っておいたのです。

その通りになりました♪

あの日から、あの悔しさを味わってから、私の「ノーフリップ」への挑戦の日々が再び始まったのでした!(ちょっと大袈裟に書いてます)

<→続きはこちらです>

これで、今年の「ラフティング道」の更新は最後となります。
今年一年、本当に有難うございました!また来年も「ラフティング道」書いていきますので、お暇なときにでも覗きに来て下さい!
では、皆さん、良いお年を!Happy New Year!