ラフティングガイドのトレーニングコース開催!
回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)
1997年。 オーストラリアでラフティングガイドのトレーニングを受け始めて、約1ヶ月半が経とうとしていました。
その頃には、トレーニングをするときは、いつもタリー川の激流を全て任せてもらえるようになっており、少し前に失敗を犯したこともいい経験になり、 「ただ楽しませるためにガイドするだけでなく、お客さんの安全を第一とする」ということも少しずつですが、学んでいくようになりました。
「失敗」についてはこちらの記事を参考にどうぞ♪
⇒「失敗・・part1」
⇒失敗・・part2
そんな時、RnR社主催の『ガイド養成トレーニングコース』が開催されることになりました。
これは会社がオーストラリア全土に広告を出し、リバーガイドになりたい人を集めて、タリー川で5週間キャンプしながらトレーニングをするというコースです。
そのキャンプを無事卒業できた人だけが、その後もRnR社にてトレーニングを続けることができ、最終的にガイドテストに合格すれば、会社でガイドとして雇ってもらえるというものでした。
私も最初は、もともとこのトレーニングコースから参加する予定でした。
しかし、予想外に早く会社からトレーニングの許可をもらうことができ、今までトレーニングをしてこれたわけです。
当初は私のトレーニングの進行具合が順調だったため、私はこのトレーニングコースには参加しなくてもよいと言われていました。
しかし、当時4人いた日本人の先輩ガイドのうち3人が一度に辞めることになり、日本人ガイドがもっと必要になるとの判断で、日本人のガイド候補生の募集もかけられることになりました。
それで、どうせ日本人がトレーニングコースにくるのなら「keitaも行ってこい」と言われ、私もそのトレーニングコースに候補生として参加することになったのでした。
5週間のトレーニングコースの参加費は1600ドルだったような気がします。
この参加費は途中で脱落しても当然返還はされません。
結構高いです!
このトレーニングコース。参加すれば全員卒業出来るといったものではありません。卒業するにはそれ相応の技術を身につけなければいけません。
そして、このトレーニングコースの一番恐ろしいところは、
「毎週何人か脱落させられる!」というところなのです!
ですから1番短い人はたった1週間(正確には5日間)で、1600ドルの参加費を払ったにもかかわらずクビを宣告されてしまうのです。
私以外の日本人も6名が募集で集まり、全部で計20名くらいのガイド候補生がそのトレーニングコースに参加することになりました。
いよいよ「生き残り」をかけたサバイバルゲームの始まりです!
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