「日本人リバーガイド」

2019年8月7日

オーストラリアでリバーガイドをしていた時の回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)

前回(⇒『頼れる新人リバーガイド!へ 』)の続きで、引き続き、私がオーストラリアでの「リバーガイド生活時代」にノーフリップ(転覆しないこと)にこだわっていた時の話しです。

新人でありながら、他のガイドからも「一目置かれるガイド」を目指そうと、私はラフティングツアー中に、

「自分のボートをフリップさせない!」

と心に誓って、日々のガイドに取り組んでいました。

そして、それと同時に

オーストラリアでの『日本人ガイド』という枠を越えて、このラフティングの世界で「上に行きたい!」と思うようになっていました。 

当たり前ですが、オーストラリアでは働いている日本人ガイドというのは、「外国人ガイド」というものになります(笑)

オーストラリアのケアンズ、タリー川というところは、世界でも有名な場所でしたので、世界中からリバーガイドが集まって来ました。

割合的には一番多かったのは、もちろんオーストラリア人。

そしてニュージーランド人。この2つの国はまるで同じ国のようでしたね(笑)

普通に話していると最初の頃は全く分からなかったです(^o^;)

よく、

「え? あの人キウィ(ニュージーランド人の愛称)だったの? ずっとオージー(オーストラリア人の愛称)だと思っていた・・」

ということがありました!

その次に私達に日本人(常に4~6人程度は在籍していました)

そして、その他にはアメリカ、カナダ、南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジア 本当に様々な国からのガイドがきていたのです。

理由は色々あると思いますが、

1.「世界で最もテクニカルなラフティングツアー」というタリー川のブランド
2.一年中暖かく、そのため、一年中ラフティングツアーを催行している

この2つが大きな理由になっているのは間違いないでしょう。

しかし、人種は色々いましたが、ガイドは大きく分けて2つのカテゴリーに分かれていたのです。

一つは「English Division」

これは英語を母国語としているガイド達(もしくは英語を普通に話せるガイド達)の部門です。

そして、もう一つが「Japanese Division」

日本語を話せるガイド達(というか日本人です・・)の部門です。

私がオーストラリアのケアンズでリバーガイドになった当時(1997年)というのは、ちょっとした「ケアンズ旅行ブーム」みたいなものが起こっていて、日本から、毎日たくさんの人達がケアンズに旅行に来ていたのです。

当然、ラフティングにも毎日たくさん来ていました♪

多い時には1日100人以上。お客さんの半分以上が日本人といったケースもあったのです。
(今現在は日本人のお客さんはかなり減ってしまいました・・・)

ですから、当然会社としても日本語を話せるガイドが必要だったわけです。

それ故の「Japanese Division」だったのです。

つまり、人種はいろいろいましたが、オーストラリアでのラフティング会社では、ガイドの分け方としては、

「English Guide」 と 「Japanese Guide」 の2つだけだったのです。

では、オーストラリアでの外国人から見た「日本人ガイド像」というものは一体どういったものだったのでしょうか?

というところでまた次回に続きます!

$ラフティング道

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