クビ宣告の時・・。
オーストラリア時代の回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)
ラフティングガイドのトレーニングコースに参加していた1997年。
5週間の行程のうちの第1週は、ひたすら激流を泳ぎまくり、そして転覆しまくりといった感じで終了しました。
月曜日から金曜日までは熱帯雨林のジャングルでのキャンプ生活で、週末だけはケアンズの街に戻れるのでした。
みんな、ウキウキです・・・・という気分ではありませんでした。
なぜかというと、
そうです。第1週が終わったということは何人かが
クビを宣告されるのです・・
キャンプの荷物を撤収し、タリーの街の外れにある、ボートの収納庫にバスで戻って来ました。
そこにはコースディレクターであるピーターのオフィスがあります。
その部屋に一人一人呼ばれ、「来週もコースに参加できるのか」 もしくは「クビ」か、どちらかを宣告されるのでした。
私は自分は大丈夫だとは思っていましたが・・
やはり、多少はドキドキするものです
そこで「クビ」を宣告されてしまうと、1600ドルもの参加費を払っているにも関わらず、ラフティングガイドになる道は閉ざされてしまうわけです(少なくとも今回は)
当然、参加費の払い戻しもありません。
「生き残り」か「クビ」か?
これはもうピーターの部屋から出てきた人の表情を見れば一目で分かりました。
残念ながら「クビ」を言い渡された人は当然、落ち込んだ表情になってしまっていました・・。
仕方ないとは思っていましたが、やはり5日間ともにトレーニングを積み、キャンプで寝食を共にした人達が「脱落」していく姿を見るのは辛かったですね・・・。
そして、いよいよ私の番がやってきました。
ピーターのいる部屋に入ります。
ピーター 「keita。トレーニングコースの第1週はどうだった?」
私 「楽しかったです」
ピーター 「何を学んだ?」
私 「こうなってはいけない・・・ということを沢山学びました」
その一言でピーターは、ちょっとニヤッとし、
ピーター 「来週の集合時間は朝6時だ」と
生き残りました!
大丈夫とは思っていてもやはりホッとしました。
結局、第一週で「クビ」を宣告されたのは、4人くらいだったと思います。日本人も一人含まれていました。
ケアンズまでの帰りのバス。時間は約1時間半。
それまでは「生き残った人」も「クビ」になってしまった人も一緒のバスです・・・。
なかなか「難しい時間」が流れていました・・・
そんな感じでトレーニングコースの最初の週は終わったのでした。
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