雑誌「playboating@jp」掲載記事~『前人未到・不滅の記録』を打ち立てた日本男子マスターズ~前編

2019年9月6日

以前、雑誌「playboating@jp」(現在休刊)に掲載された私のレポート記事です。編集長・小倉陽一氏のご厚意によりブログ掲載の許可を頂きました(*^_^*) このブログには雑誌に掲載された記事の原文を載せております。2017年日本で開催された世界大会においてマスターズ部門で優勝した時のものです。長いので前編・後編に分けています。


(実際の雑誌の表紙と掲載ページです)

『前人未到・不滅の記録』を打ち立てた日本男子マスターズ

『完全優勝』 これはレースラフティングの選手にとって、非常に響きの良い言葉であり、また多くの選手にとって一度は達成してみたいことではないでしょうか。

まして世界選手権というレースラフティングにおいての最高峰の舞台での『完全優勝』なら尚更です。

2017年10月6日~9日に、徳島県と高知県を流れる吉野川で、日本初となるラフティング世界選手権が開催され、日本マスターズ男子代表チームだった私達「R6 Masters」は、4種目の全てにおいて1位という文字通り『完全優勝』を成し遂げることが出来ました。


(表彰台にて。2位はチェコ。3位はニュージーランド)

日本の代表チームが、世界選手権においてこの完全優勝を達成したのは、今回が初であり、これまでの世界選手権の歴史を振り返っても達成したチームはごく僅かです。

さらに加えるならば、今大会において、私達「R6 Masters」はマスターズという40歳以上のカテゴリーに出場したのですが、そこで出した記録タイムは、全てのカテゴリーを含めて全チームの中でも最速のものでした。

しかも、タイムがあまり参考にならない「H2H」種目を除いた、3種目全てにおいてです。今回、大会のメインカテゴリーである年齢制限無しの「オープンカテゴリー」では、ブラジル男子が前人未到の大会5連覇を成し遂げましたが、そのブラジルをも上回るタイムを出したことになります。


(実際の大会時の様子)

マスターズのチームが、オープンカテゴリー優勝チームよりも速いタイムを出すこと自体が異例のことであり、しかもそれが3種目ともなると、大会史上初の出来事です、

今後、他の誰かによって並ばれることはあっても、決して破られることのない、まさに『前人未到・不滅の記録』を達成することができました。

勿論、自然の川がレースの舞台なので、水量、風向きなどの条件が、各チームにおいて全く一緒だったわけではないでしょう。しかし、自然の中で行う他の競技がそうであるように、ラフティング競技もそれらを踏まえての結果となるのです。

チーム創設&メンバー集結までの流れ

私達「R6 Masters」は、今回の日本大会で総合優勝する為に結成されたチームで、チームの目的は「世界ーになること」。純粋にこの一点のみでした。

チーム創設は2016年。同年にUAEにて開催された4人乗りのラフティング世界選手権のマスターズ代表チームだった「R4 Masters」が、チームの前身に当たります。

「R4 Masters」は同大会において、スプリント、H2Hの2種目にて3位になりましたが、総合では残念ながら表彰台を逃してしまいました。


(UAE大会後の打ち上げ??)

その「R4 Masters」に所属していた貝本宣広、日隠健、平田寛、本間靖雄(UAE本戦は欠場、代わりに梅本徹氏が参戦)の4人が母体となり、そこに新たなメンバー5人が加入し、今回の「R6 Masters」となったのです。

初期メンバーである日隠(通称ヒガッチ)、平田(通称ユタカさん)は、吉野川でリバーガイドとして長年活躍してきており、二人とも吉野川の流れを全ての水量にて細かく把握している心強いメンバーでした。

ヒガッチは2015年から、そしてユタカさんは2016年からマスターズの日本代表として日の丸を背負ってきました。

本間(通称ヤスさん)は、レースラフティングの黎明期から日本代表として活躍してきた人で、まさにレース界の重鎮というべき人物です。マスターズ選手として、マスターズ部門の事実上初開催となった2013年ニュージーランド世界大会から世界に挑戦し、同大会では総合3位の実績を持っています。

そして今回の新メンバー招集に最も力を注いできたのは貝本(通称カイさん)で、カイさんは長年、カヤックのフリースタイル界を牽引してきた人です。フリースタイルを志す人ならその名前を知らない人はいないほどの有名人で、日本チャンピオンの座に長年君臨してきた人です。

またラフティングのマスターズ選手として、ヤスさんと一緒に2013年ニュージーランド世界大会から世界に挑戦してきました。

そのカイさんを中心に、それまでの経緯を踏まえ、母国開催となる日本大会において優勝する為、またそれを可能にする為の大幅なチーム力アップを図るべく今回新たなメンバーが招集されたのです。

チームに新たに加わったのは三馬正敏、安藤太郎、小林靖央、高畑将之、八木澤慶太の5名。

三馬(通称サンマさん)は、カヌー選手としてスラロームC2で2008年に北京五輪に出場し、準決勝進出という経歴を持っています。ボートの動きを先導する強力なバウマンとして合流しました。

安藤(通称タロウさん)も、同じく元オリンピック選手で、スラロームK1にて2000年のシドニー五輪に出場した経歴を持ちます。今回、世界の頂点を確実に獲る為の「最後のピース」として本番半年前にカイさん(貝本氏)が勧誘し、それに応じる形でチームに合流しました。

小林(通称ヤス君)は、ラフティングのプロチームである『テイケイ』にかつて所属し、2009年世界選手権ではオープンカテゴリーにて準優勝の実績を持ちます。現在は海でアウトリガーを中心に漕ぎ、世界大会にも出場してきましたが、今回はラフティングで再び世界に挑戦する為にチームに合流してくれました。日本人離れしたパワーとリーチの持ち主です。

高畑(通称ヤクさん)もテイケイの出身で、やはり2009年世界選手権では準優勝。現在はリバーサップの第一人者として活躍しています。2017年にはアメリカでの国際大会でも優勝し名実ともにリバーサップの世界的トップパドラーです。

そして最後に筆者である八木澤(通称ケイタ)。かつてオーストラリアに長年在住し、当時はオーストラリア代表として世界選手権に出場していました。テイケイに誘われ帰国し、日本代表として2010年と2011年の世界選手権・オープンカテゴリーにおいて2連覇を達成し、その経験を買われチームに合流することになりました。

いつの頃からか、周囲から「ドリームチーム」と呼ばれるようになったこのチームですが、客観的に見ても、よくぞここまで集まったというメンバー構成でした。

ラフティングは勿論、カヌー・カヤックのスラローム、フリースタイル、リバーサップ、アウトリガーから国内トップクラスのメンバーが集結し、まさに日本マスターズ世代の「ドリームチーム」だったと思います。

各個人がそれぞれの分野において、世界を相手に戦ってきた経歴を持つメンバーばかりで、個々の能力が非常に高いチームとなりました。

『経験に基づいた個々の強さ』

ここが今回のチームの最大の特徴であり、そしてまた最大の強みでもあったと思います。

大会前の準備

メンバーの中で四国に住んでいたのは5人のみで、その他の4人は関東在住の為、チームとしての全体練習はほとんど出来ず、基本的に練習の中心は個人トレーニングでした。

週末には辛うじて四国在住メンバーが4~5人集まることが出来たので、そこでやっとチーム練習らしきものが出来た程度です。


(ある日の練習風景。水面に霧がかかり幻想的な雰囲気です)

またメンバーが足りない時には、地元のガイド仲間などに練習に参加してもらったことも多々あります。

そのお陰で、なんとか「チーム練習」が可能となりました。練習を手伝ってもらった方々には本当に感謝の気持ちで一杯です。

結局、大会前にチーム全員集まって練習できたのは、本番3ヶ月前の7月中旬に行った2日間の合宿だけでした。

この2日間の為に、全員がなんとか仕事などの都合をつけ、吉野川に集結。そこでチームの漕ぎ合わせ、そして基本的な動きの確認をしました。

「たった2日間だけの合宿」でしたが、そこでお互いの漕ぎの感覚と、それらが合わさってのボート全体の動きを確認できたので、いい感触で合宿を終えられたのを覚えています。

当然、細かい修正箇所は出てきましたが、あとはそこを踏まえての個人トレーニングを本番までに各個人でやっていくことで、十分に世界の舞台で戦えるという感覚がチーム全体にありました。

勿論、チーム練習がほとんど出来ないという不安が、皆無だったと言えば嘘になりますが、それよりもむしろ、このチームの潜在能力の高さと可能性にワクワクしていた気持ちのほうが大きかった・・というのが正直なところです。

「このチームでマスターズ優勝出来なかったら、一体どのチームが優勝できるのか?」

私個人はこのように考え、大会前には

「目指すは4種目で全て1位を獲ってのマスターズ完全優勝。そしてタイムではオープンカテゴリーのチームにも勝つ」

と公言していました。当然、この目標は最終的にチームメンバー共有のものとなりました。

勿論、実際のレースでは何が起こるかはわかりません。日頃の懸命な努力さえも簡単に裏切られ、そして時には運にも左右されるのが競技の世界における厳しい現実です。

しかし、上記の目標を見据え戦っていけば、「途中、何か起こっても、”最低”でもマスターズにおいて総合優勝は確保できる」という目算がありました。

<後編へ続く>