いざオーストラリアへ♪

2019年7月24日

回想記です♪ 今回からはオーストラリア編です。

1996年7月22日の飛行機で当時22歳だった私はオーストラリアのケアンズ行きの飛行機に乗り込みました。

目的はオーストラリアでラフティングのガイドになるためです

ここに至るまでの経緯は回想記(生後~大学時代)に書いてあるので気が向いたら読んでみてください♪
→こちらです(回想記まとめページへ)

ちなみに当時の私は日本でラフティングが行われていることを知りませんでした。オーストラリアに行かなければラフティングのガイドにはなれないと思っていたのです

と言っても、当時の日本のラフティング業界は今のような感じではなく、ちょうど日本の各地でラフティングツアーが本格的に始まってきた初期にあたる時期でした。

現在だったらネットがありますので、そんな情報は調べればすぐに出てくるのでしょうが、1996年当時はまだインターネットは一般には普及していない時代です。

情報は基本的に全て本からでした。

携帯電話もまだみんな持っていない時代でしたね(笑)

そんな時代ですから、オーストラリアの情報もすべて本からのものだけでした。

ですから私がその時知っていた情報は、

「ケアンズにはラフティング会社があって、そこでトレーニングを受けて試験に合格すれば、ラフティングのガイドとして現地で働ける」

という事。

それが全てでした。

今だったら当然オーストラリアに行く前にネットで検索をし、現地のラフティング会社にとりあえずメールしてみる・・・という行動をするでしょう。

しかし、経験ある方もいるかと思いますが、

海外の会社にいきなりメールで仕事や就職の問い合わせをして、すぐに「いい返事」をもらえることはそうありません。ガーン

ましてこちらは全く経験のない素人なのですから(笑)

ですから、もしその当時ネットがあってメールでいい返事をもらえなかったら、もしかしたらラフティンングのガイドにはなっていなかったかもしれません。

そう考えると情報がない時代というのは、

ある意味すごく幸せなことだったのではないかと思っています。

「とりあえずやってみなければ分からない」

「とりあえず現地に行ってみなければ分からない」

ということになりますので。

あまり深く考えずに行動できたように感じます

いくら考えても、そこで答えは出ない⇒考えても仕方ない 

となりますので(笑)

今、隣でこの文章を読んでいる嫁さんが

「手紙で問い合わせ出来たんじゃない?」と聞いて来ました・・。

あれ・・・。

そうですね・・。手紙で問い合わせする方法もありましたね

まあ。それはいいとして(笑)、22歳の私にはそんな考えは全く頭にはなく、

行けばなんとかなるだろ!

という感じで飛び立ったのでした。

↑ケアンズ空港。1996年当時ではありません(笑)

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