フリーター生活♪
回想記です。
オーストラリア大使館までビザの申請をしに行った私でしたが、ビザが発給停止になっていて途方にくれてしまったのです。
さて、 「どうしようか・・・」と考えてみましたが、はっきりいって
どうしようもありませんでした(笑)
「オーストラリアにいってラフティングをやろう!」と決めていたので、行き先を変えるという選択肢はもちろんなく、私に出来ることは
ビザが再び発給されるまで待つ
しかありませんでした。
しかし、すでにバイトも辞めることになっていたし、アパートも近いうちに退去することが決まっていました。
「実家に戻って待つしかないか」と思って、さっそく実家の父親に電話で事情を伝えると、
「そうか。じゃ東京で待ってればいいだろ」と予想外に軽い返事が帰ってきました(笑)
うちの父はいつもこんな感じです。
私がすることに対しては、ほぼ無条件で100パーセント応援してくれていました。ありがたかったですね。
早速、バイト先に「すみません。辞めるといいましたけど事情により、もう少し働かせてください」とお願いし、
アパートの契約も「ビザが発給されるまで、もう少し住ませて下さい!」と延長をお願いし、大学卒業後もしばらくそのまま東京で暮らすことにしたのです。
その後の生活はバイト中心の生活でした。
自分の都合で東京に残る以上、生活費は自分で稼がなくてはいけません。
バイトはほぼ毎日、夕方5時頃~深夜2時頃までのシフトで働いていました。仕事後、アパートに帰ると英語の勉強を朝方まで。
オーストラリアで働く以上英語はもちろん必要なので、一応ちょっとだけですが勉強していたのです。
明るくなるまで勉強し、朝の6時頃から、足にパワーアンクルを付けて1時間ジョギング(笑)
この辺の発想はまだ「ロッキー」の影響が強かったですね。
↓こんなものです♪
そして、その後寝て、昼過ぎに起きて、筋トレしてバイト・・という繰り返しでした。
「いつビザが発給再開せれるのかな~」と思いながらも、毎日のバイト、ジョグ、筋トレを繰り返していると、6月くらいでしょうか。
実家の母から「友達が新聞でビザの発給再開の記事を見たと言っていたよ」と電話があり、
「ホント!!(喜)」
と急いで大使館に電話してみると、
「発給再開しました」とのことでした!!
すぐに私はビザを申請し、オーストラリアへの航空券のチケットも手配しました!
こうして私のフリーター生活は約3ヶ月で無事に終わったのでした(笑)
出発は1996年の7月22日。
ようやくオーストラリアに旅立つ日が来たのです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません