フリーター生活♪

2019年8月1日

回想記です。

オーストラリア大使館までビザの申請をしに行った私でしたが、ビザが発給停止になっていて途方にくれてしまったのです。

(⇒詳しくは前回の記事をどうぞ♪)

さて、 「どうしようか・・・」と考えてみましたが、はっきりいって

どうしようもありませんでした(笑)

「オーストラリアにいってラフティングをやろう!」と決めていたので、行き先を変えるという選択肢はもちろんなく、私に出来ることは

ビザが再び発給されるまで待つ

しかありませんでした。

しかし、すでにバイトも辞めることになっていたし、アパートも近いうちに退去することが決まっていました。

「実家に戻って待つしかないか」と思って、さっそく実家の父親に電話で事情を伝えると、

「そうか。じゃ東京で待ってればいいだろ」と予想外に軽い返事が帰ってきました(笑)

うちの父はいつもこんな感じです。

私がすることに対しては、ほぼ無条件で100パーセント応援してくれていました。ありがたかったですね。

早速、バイト先に「すみません。辞めるといいましたけど事情により、もう少し働かせてください」とお願いし、

アパートの契約も「ビザが発給されるまで、もう少し住ませて下さい!」と延長をお願いし、大学卒業後もしばらくそのまま東京で暮らすことにしたのです。

その後の生活はバイト中心の生活でした。

自分の都合で東京に残る以上、生活費は自分で稼がなくてはいけません。

バイトはほぼ毎日、夕方5時頃~深夜2時頃までのシフトで働いていました。仕事後、アパートに帰ると英語の勉強を朝方まで。

オーストラリアで働く以上英語はもちろん必要なので、一応ちょっとだけですが勉強していたのです。

明るくなるまで勉強し、朝の6時頃から、足にパワーアンクルを付けて1時間ジョギング(笑)

この辺の発想はまだ「ロッキー」の影響が強かったですね。

↓こんなものです♪

そして、その後寝て、昼過ぎに起きて、筋トレしてバイト・・という繰り返しでした。

「いつビザが発給再開せれるのかな~」と思いながらも、毎日のバイト、ジョグ、筋トレを繰り返していると、6月くらいでしょうか。

実家の母から「友達が新聞でビザの発給再開の記事を見たと言っていたよ」と電話があり、

「ホント!!(喜)」 

と急いで大使館に電話してみると、

「発給再開しました」とのことでした!!

すぐに私はビザを申請し、オーストラリアへの航空券のチケットも手配しました!
こうして私のフリーター生活は約3ヶ月で無事に終わったのでした(笑)

出発は1996年の7月22日。

ようやくオーストラリアに旅立つ日が来たのです。

<続く>