本屋で出会った「ラフティング」

2019年8月1日

前回の記事と時期はちょっと前後してしまうのですが、私が大学4年になったばかりの1995年のことです。

卒業を1年後に控え、同級生は教員になるための教員採用試験の勉強をしたり就職活動をし始めていた頃でした。

私は卒業後はアメリカに行こうと考えていたので、そのような事は一切しませんでした。

そのような私を同級生はもしかしたら「?????」という目で見ていたかもしれませんね(笑)

それで「そろそろ準備しようかな・・・」思い始め、とりあえずアメリカに行く方法、何が必要なのかを調べ始めました。

ただ観光で行くわけではありません。

現地で働いて暮らそうと思っていたので、そのためにはどうすればいいのかを本屋で調べていると

「とりあえずアメリカで働くためにはビザが必要なんだ」と知りました。

そして、もっと調べていくと、

「観光ビザではなく労働ビザが必要なんだ」

「そうか、そうか」

「何の資格もない人がいきなり労働ビザを取るのはかなり難しい」

「というかまず無理でしょう・・・」

「何!!!」

本屋に着いてものの30分で、中学校くらいからずっと夢見ていたことに暗雲が立ちこめてきてしまったのでしたあせる

今から思うと、「もっと早く調べとけよ!」て感じですが(笑)

それで、今度はとりあえずビザの本を探し出し調べてみることにしたのです。(全部、立ち読みでした。すみません!)

そうすると今度は「ワーキングホリデービザ」というものを見つけたのです。

ワーキングホリデービザというのは、簡単に説明すれば「その国で1年間働きながら暮らせるビザ」というもので、1995年当時はオーストラリア、カナダ、ニュージーランドの3ヶ国でそのビザが取れました。

今現在はもっと多くの国でワーキングホリデービザは取れるようです♪

そして、今度はそのワーキングホリデービザについての本を探し読んでみると、オーストラリアの項目のところで何やら聞いたことのない単語がありました!

それがラフティングでした!!!

激流を下っている2枚くらいの写真に1ページの説明。

説明の文章には、

「ラフティングのトレーニングを受け、ガイドの試験に合格すれば現地の会社で社員として働くことも可能!」

みたいなことが書かれていたのです。

瞬間的に「これだ・・」と思いました。

理由はよくわかりませんが、本当にその写真と説明文を読んだ瞬間に、直感的に

「オーストラリアに渡ってラフティングをしよう!」

と決めたのです。

私の人生が決まった瞬間でした!!!

本屋にいたのは多分1時間くらいでしょう。

本屋に入る前には「アメリカに行って、一人で生活するぞ~!」だったのが、1時間後には

「オーストラリアでラフティングをするぞ!」に変わっていたのです

人生のターニングポイントなんてものはホント突然ですね(笑)

<続く>