生後~小学校まで

2019年8月1日

しばらく回想記(生後~大学時代)を書いていきたいと思います♪

お暇だっだら読んでみてください。

大学時代までということは、私がオーストラリアに渡る前までということになります。ま、この辺はサクッと書いていきます(笑)

私が生まれたのは昭和49年(1974年)の1月、栃木県宇都宮市というところです。

(宇都宮市のHPより)

1974年生まれの有名人では、オリンピックで金メダルを獲った清水宏保さん(スピードスケート)、同じくオリンピック柔道3連覇の野村忠宏さん、室伏広治さん(ハンマー投げ)、松井秀喜さん(メジャーリーグ)・・・などなど。

さらに同学年ではイチロー選手など超ビックネームが名を連ねていますニコニコ

ちなみに日本ではよく生年月日の話で「~年生まれだけど、学年は同じだね」とかいった感じで、生まれた年の他にも「学年」という概念も使われますが、オーストラリアではそのような事は全くありませんでしたあせる

ただ単に「~年生まれです」といったかんじです♪

文化の違いなのか、単に学期が始まる時期のせいなのかよくわかりませんが(笑)

ごく普通の家庭で育ちました♪

小学校時代は野球。

小学校での野球は、私の時代名物の「スパルタ式」でしたね(笑)

監督に殴られるのは当たり前

時にはバットでお尻を殴られ、ゲンコツで頭を殴られ・・・と。

このゲンコツがまたすごく痛かったのを覚えています(笑)殴られたところはホントに絵に書いたように見事なコブが出来ていましたから

ときにはキャッチャー面のフェイスガードの硬い部分で殴られ額から流血なんてのもありましたねあせる

今だったとんでもない話でしょうが、あの時代は当たり前(かな?) 僕らもそれが普通と思い、特にそれで監督を嫌いになるとかは全くありませんでした。

ま、メチャクチャ怖かったのは覚えていますが(笑) 

練習内容も当然ハード。技術練も当然ですが、なりより体力練が厳しいものでした。

タイヤを引きながらグランド10週だとか、肩車しながらダッシュとか。

ときには2時間くらいノックを続け、後ろにそらした数だけ最後にグランドを走るなんて練習も行なっていました。

そりゃ2時間もやれば、疲れてきて相当な数を逃してしまいます・・

一人平均20周くらい。人によってはたしか40周くらい走ったのではないでしょうか。1周はたかが200Mくらいですから、40週といっても8キロなので今考えればたした距離ではないですが、小学生にとって練習後の40周はキツかったと思います。

当時はウサギ跳びもよくやりました!

当然休みはほとんど無し。

まるで「巨人の星」状態でした(^o^)

今考えても、これまでの人生の中で、練習が体力的に最もキツかったのはこの小学生の野球時代ですね。

ですから、たまに雨がたくさん降りグランドが水浸しになるような時というのは練習が中止になるので、そのような時はすごく嬉しかったのを覚えています。

もう朝から雨が強く降っている日などは、「練習中止の期待」で1日中気分はルンルンでした音譜

学校に行くと、野球部の連中は朝からみんな笑顔です!

考えてみれば雨が降っている日に、朝から機嫌がいい小学生達というのも変でしたね(笑)

<続く>