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2019年8月12日

オーストラリアでリバーガイドをしていた時の回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)

さてさて、回想記を再開し始めたのはいいものも、日本に帰国したことばかり書いていましたので、そろそろ、ちゃんとオーストラリアでの回想記を書くことにします♪

以前の記事にも書いていたことなのですが、私はオーストラリアでリバーガイドになって以来、

それはもう本当にラフティングを楽しんでいて、好きで好きでたまらない!

ラフティングをしているときは楽しくてたまらない!

という状態だったのです(笑)

と同時に、この自分の大好きなラフティングというものを、

もっともっと上手くなりたい!

ラフティングにおいて、誰にも負けたくない!

ラフティングの本場、オーストラリアのケアンズという場所で、誰からも一目置かれるようなガイド、誰もが認める実力を持ったガイドになりたい!

と強く思うようになっていたのです。

この”想い”というものは、本当に強いものでした。

おそらく、数多く在籍したガイドの中でも、自分で言うのもなんですが・・・・

ダントツで一番強く思っていたガイドでしょう(笑)(おそらく・・・ね♪)

それは、もう”異常なくらい”でした(笑)

今、振り返ってみると、

「なんであんなに夢中になっていたんだろう?」

「なんであそこまで強くこだわっていたのだろう?」

と思うこともあるのですが、当時の私にとっては、それが全てと思っていたのです。

いつもラフティングの事を考えていました。

どうやったら上手く激流を下れるかを考え、そしてまた、どうやったらボートを転覆させずにできるか・・・ということばかり考えていたのです。

ラフティングの世界は、本当に「実力社会」でした。

高い技術をもったガイドは、その経験に関係なく、みんなが一目を置くようになるのです。

会社から得られる”ガイドのレベル(肩書)”というものももちろんありましたが、やはりガイドは現場主義なのです。

現場(川)での、各ガイドのパフォーマンスをみんなお互いよく見ているのです。

まして自分は日本人という「外国人」でした。

どこの国でも、そんな業種でも同じでしょうが、「外国人」がその国の人と同じレベルの技術では、周りからそんなに評価されることはないのです(と思う・・)

まあ、同レベルであれば、そんなに低く評価されることはないかもしれませんが、決して高く評価されることはないでしょう。

加えて、言葉(英語)という点で、明らかに劣っていましたから(特に最初の方は)

(英語がネイティブ並の実力の人は別でしょうが・・・)

そんな自分が、オーストラリアでのラフティングの世界で「上」に行こうとするのなら、

その技術を徹底的に磨き上がる! ということに力を注ぐことが一番の近道だったわけです。

$ラフティング道
(1996年トレーニング時代)

<→続きはこちらです>