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オーストラリアでリバーガイドをしていた時の回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)
さてさて、回想記を再開し始めたのはいいものも、日本に帰国したことばかり書いていましたので、そろそろ、ちゃんとオーストラリアでの回想記を書くことにします♪
以前の記事にも書いていたことなのですが、私はオーストラリアでリバーガイドになって以来、
それはもう本当にラフティングを楽しんでいて、好きで好きでたまらない!
ラフティングをしているときは楽しくてたまらない!
という状態だったのです(笑)
と同時に、この自分の大好きなラフティングというものを、
もっともっと上手くなりたい!
ラフティングにおいて、誰にも負けたくない!
ラフティングの本場、オーストラリアのケアンズという場所で、誰からも一目置かれるようなガイド、誰もが認める実力を持ったガイドになりたい!
と強く思うようになっていたのです。
この”想い”というものは、本当に強いものでした。
おそらく、数多く在籍したガイドの中でも、自分で言うのもなんですが・・・・
ダントツで一番強く思っていたガイドでしょう(笑)(おそらく・・・ね♪)
それは、もう”異常なくらい”でした(笑)
今、振り返ってみると、
「なんであんなに夢中になっていたんだろう?」
「なんであそこまで強くこだわっていたのだろう?」
と思うこともあるのですが、当時の私にとっては、それが全てと思っていたのです。
いつもラフティングの事を考えていました。
どうやったら上手く激流を下れるかを考え、そしてまた、どうやったらボートを転覆させずにできるか・・・ということばかり考えていたのです。
ラフティングの世界は、本当に「実力社会」でした。
高い技術をもったガイドは、その経験に関係なく、みんなが一目を置くようになるのです。
会社から得られる”ガイドのレベル(肩書)”というものももちろんありましたが、やはりガイドは現場主義なのです。
現場(川)での、各ガイドのパフォーマンスをみんなお互いよく見ているのです。
まして自分は日本人という「外国人」でした。
どこの国でも、そんな業種でも同じでしょうが、「外国人」がその国の人と同じレベルの技術では、周りからそんなに評価されることはないのです(と思う・・)
まあ、同レベルであれば、そんなに低く評価されることはないかもしれませんが、決して高く評価されることはないでしょう。
加えて、言葉(英語)という点で、明らかに劣っていましたから(特に最初の方は)
(英語がネイティブ並の実力の人は別でしょうが・・・)
そんな自分が、オーストラリアでのラフティングの世界で「上」に行こうとするのなら、
その技術を徹底的に磨き上がる! ということに力を注ぐことが一番の近道だったわけです。
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