焦り・・・

2019年7月25日

回想記です♪(⇒過去記事はこちらです)

ラフティング会社からの連絡を待つ間の時間を無駄にしないためにダイビングを始めたわけですが、ケアンズでのダイビングは結局3ヶ月間ほどやっていました。
前回の話はこちら

しかし、その間にもラフティング会社からは連絡はありませんでした。

私はダイビングはキリのいいところで止めて、自分なりの準備をしながら、連絡が来ることに望みをかけることにしました。

準備というのは具体的にはトレーニングと英語です。

やはりオーストラリアで働くために英語は必要不可欠です。

そしてラフティングのトレーニングでは、とにかく激流で泳がされると聞いていました。

噂によると「本当に死にそうなくらい泳がされる!!」とのことだったのです(笑)

ですから、毎日プールで泳ぐことにしました。

あと、重たいボートを動かすには当然パワーが必要だと考えていましたので、ジムにも通う必要がありました。

幸いにもケアンズにはジムがたくさんありましたので、その中でも当時最も施設が充実したジムに入会し、ウエイトトレーニングをすることにしたのです。

この頃の私の生活はジムまで片道15分くらいを走って行き、2時間筋トレをして、その後1時間スイム。そしてサウナに入り、ストレッチをしてまた走って帰るという事をひたすら繰り返していました。

そのジムには日本人の私からみたら化物のような人達がたくさんトレーニングしていて、いい刺激をもらいました♪

毎日通っていたので顔なじみになった人たちもたくさんいましたね。

そして、ケアンズの北にあるパームコーブというビーチにあったライフガードのクラブにも入り、たまに一緒にトレーニングをさせてもらっていました。

$ラフティング道
(↑当時のトレーニング写真。私は波打ち際に小さく写っています)

あとはよく一人でもケアンズ近辺のビーチで泳いでたりしていました。

ただ前回の記事で書いたように、ケアンズ近辺には海にもワニがいます。そのビーチも年に数回くらいはワニの目撃情報があるところでした。

どうりでいつも「誰もいないな~」と思っていたのです(汗)

当時はそんなこと全く知らなかったので、平気で泳いでいたのですが・・・。

まさに「知らぬが仏」でした(笑)

そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、12月に入ってしまったのです。

ケアンズには7月下旬に来たので、それからまもなく5ヶ月間になってしまい、1996年も終わってしまうという時期になってきました。

私はちょっと焦っていました・・。

ラフティングのガイドになって、そこで働くためにケアンズに来たのに、何も進展しないまま、時間切れの半分近くが過ぎてしまうという状況だったためです。

当時のオーストラリアでのワーキングホリデービザの期間は1年間でした。

ですからその1年間のうちになんとかラフティングのガイドにならなければ、当然オーストラリアにはいられないし、それは私にとって失敗とか挫折というものになってしまうと思っていたのです。

「もうこれ以上、連絡を待っていることはできない・・・。もう一度こちらからプッシュしてみよう」

と私は思い、、年が変わるまでになんとか状況を好転させようと考えたのでした!

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